スペイン滞在中に冷や汗をかいた思い出 災い転じて福となす?

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スペイン滞在中に身の危険を感じた事ってある?

スペインの治安は?

2001年の初渡西に向けて準備をしていた時も
「スペインは危ない」
「ナイフを持った人がいる」
「首絞め強盗が出る」
「リュックなんて背負って居ようものなら勝手にファスナーが開けられている」
「服の中に貴重品を大切に隠していても無駄」
な~んて心配をしてもらった思い出があります。

今までスペインを何度も訪れてた経験から言うと結果は

ズバリ自分の危機管理能力!(たまに例外アリ)

だと思います。
日本でも安全と思って油断していたら思わぬ事故や事件に巻き込まれることが
あるかも知れません。
スペインもその点では同じだと思います。

・夜は一人で出歩かない。
・さみし気な道はなるべく通らない。
・カフェなどでは荷物を置いたままで一瞬でも席を立たない。
・明らかに「旅行者です」的な服装で行動しない。
(各々の服装の好みもあるので何とも言えませんが、あきらかに現地の人と違うのはお勧めできないですよね。)
・鞄の持ち方も要注意。
(私は普段からリュックは持たないのですが、持つ人は背中ではなくお腹に回して使っていますね。最初は驚いたものです。)

などなど、などなど・・・
他にも色々あるとは思いますが上記だけ見ても日本での注意点とさほど差は無いように思います。

スペイン人の友人が心底感激していた思い出に
日本でスマホを無くしたけれどすぐに見つかった。(届けてもらえていた)日本人最高!
ということがありました。
そう言ってもらえると日本人として誇らしいですね。

※実はスペインで私は傘を、夫はスマホを無くしたことがありましたが見つかりました。
保管していてくださった方、拾って届けて下さった方に感謝!スペイン人最高!

 

実際に危ない目に遭ったことはある?

私も主人も有り難いことに身の危険を感じたことはほとんどありません。
それでも頑張って思い出してみると・・・


①25歳で初渡西のマドリード。
空いている地下鉄なのに横に座って来た謎な男に
靴裏をぴとっと合わせられた。
(私は左側に座り左足を上に足を組んでいたので足裏は右へ。その男は対照的に足を組んだので足裏同士がぴとっと密着)
思わず
「なんじゃいソレ?」
と日本語で突っ込んでしまったおかげかその男は何処ぞへ去って行きました。
②マドリード
友人とタブラオを観た帰り、夜は危ないのでタクシーを呼んでもらいました。
するとそのタクシー、わざと遠回りをしたり、ありえない料金を請求したりしてくるものだから
(2グループで行ったので料金や道などリアルに確認していた私たち。)
関西弁でかなり怒ったら
「もういい、もういい」
と解放されました。
どさくさ紛れに
「怒るでしかし」
と、何故か横山やすしさんの物まねまで出していた私。
その運転手さん、きっと
「ややこしい人を乗せてしまった」
と後悔したことでしょう・・・ふふふ。
夫の宇根理浩
一人で渡西をしていた頃、若者にギターを持って走り去って行かれたらしい。
そしてそれに追いついて無事取り戻したらしい。
わが夫ながらそんな脚力があったとは・・・知らなかった!!!
私と宇根君
10年以上前のへレス・デ・ラ・フロンテーラ。
ビジャマルタ劇場での公演を観た後感激しながら駅よりのピソに帰ろうと
思ったら角材的なものを両手に持った男が走ってきた。
これは本気で怖かった!!!
他の通行人も逃げていたのでへレスではレアな体験でした。
この日以来この角材男の目撃情報はありません。

じゃあ冷や汗をかいたことは?

上記のあれこれでもきっとその都度冷や汗をかいていたとは思うのですが
宇根君と共に経験した治安以外での冷や汗話は・・・。

災い転じて福となす?カルモナにて

2010年
一面のひまわり畑で有名な魅力的な街カルモナ。
友人から「今晩カルモナで若手たちのフラメンココンクールがあるよ」
と聞きさっそく足を延ばしてみました。

プラド・デ・サン・セバスティアン バスターミナルから5分程歩いた
全く普通のバス停にカルモナ行きの中距離バスは停まっていました。
2ユーロほどで距離に関係なく乗れるのはあり難い!!
高速に乗り約50分で到着。

すっかり夜なのであたりは真っ暗。
「本当にここでそんなイベントあるの????」
といった感じで 不安はつのるばかりの
「初めてのお使いチーム」的な私たち二人。
とあるペーニャのおじいちゃんに訊いたら 教えてくれたのは
坂を上って下って結構暗い道・・・。
「おじいちゃんの行った場所って本当かな?」
・・・と、不安は更に積もり
引き返したほうがいいかな・・・となった頃 見えた!
「ペーニャ・ラ・ギターラ」!!!
おじいちゃんちょっと疑ってゴメン。
中に入るといきなりそこのおじいちゃんが
「フラメンコのコンクールだろ?さあさあ」
と話しかけてくれました。
おじいちゃんが元気な町だわ。

コンクールは夜9時半から。
みんなご飯を食べながらお酒を飲みながら何とも砕けた雰囲気で始まると言う
日本ではありえない状態に私たちはびっくり。
審査員は飲んでいないみたいでしたが、いったいどんな人が出るのかと思っていたら・・・。
レベルがた、高い!
だって出演者にサライ・デ・ロス・レジェスなど第一線のバイラオーラがいてまたまたびっくり!

大満足で会場を後にする私たち。

問題はここから・・・。

 

既に時間は午前零時を回り、小さな町だからバルも軒並みしまっている状態。

帰りのバスは9時で終わっているし、タクシーなんて通っちゃいない。
宿泊場所も固く扉を閉ざしインターフォンなどと近代的な物なんて殆ど無い。
アンダルシアだってこの季節朝と夜は凄く冷え込む。
この中まさかの野宿か?と思っても出来そうな駅なんて無いし。
真っ暗な道に街頭がぼんやり光るだけ・・・さて、どうする!?

 

激寒の中野宿なんてしていたら
この町にあるネクロポリス(何百体もの遺体が収容されている墓地)
の仲間入りに なっちゃうので、ここはもう開き直って向かった先はひとつ!
そう!パラドール!!!!!!!!!
丘の頂上にあるのでそれまでの道のりは何と怖い事か!

でもその闇を抜けると、まさにどーんとそびえ立ち黄金にライトアップされている
見事なファサードが。

いつでもどこでも持っておくもんだパスポートとカード!
予約無しでもすんなりチェックイン(有難う!日本の信頼の高さ)。

先ほどまでの心細さは何処へやら、豪華絢爛な内装にはしゃぐ私たち。
一度はパラドールに泊まってみたいな・・・とは思っていましたが
まさかこのシチュエーションで願いがかなうとは。
ふかふかのベッドで見事爆睡していました。

翌朝の景色を見てまた感激!
まさに災い転じて福となす・・・とはこのことか?としみじみ。

今でこそスマホの便利さに助けられてこんな体験はしなくなりましたが
10年前のこの時は本当に
「え?もしかして私たち死んじゃう?ここで?」
とぞっとしたものです。

パラドールの存在に気付けたとき、いざ辿り着いた時の感動は今でも
鮮明に思い出せます。

便利になって安心が得られた分、実は
何が起きるか?
どんなワクワクに巡り合えるか?
的な度数は少し下がった気もするのでやはり冒険心はこれからも大切ですね。

カルモナ・・・再訪熱望です。

 

 

 

 

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