夏から秋へ
これまで毎年8月に開されていた「日本フラメンコ協会 フラメンコ・ルネサンス新人公演」
が今年は9月11日(火)、12日(水)、13日(木)の開催決定となしました。
約一か月後の本番に向けて出演者の皆さんの頑張りもより一層白熱されているのではないでしょうか?
うね君も3日ともカンテ、バイレ部門の皆さんの伴奏を務めさせてもらう為現地入りします。
私も応援のため同じく東京へ。
いまからドキドキです!
フラメンコ新人公演まであと一ヶ月!奨励賞受賞に至るまでの思い出
今ならどのように臨むか? 2/2 はこちら
日本フラメンコ協会 フラメンコ・ルネサンス新人公演とは?
【開催日】2024年 9月11日(火)、12日(水)、13日(木)
【会場】中野ZEROホール
【対象部門】カンテ部門、ギター部門、バイレソロ部門、群舞部門
【参加資格】 新人公開催年度前期の2月末日迄に入会済の日本フラメンコ協会正会員。
※群舞参加の場合のみ、代表者以外の初年度会員も可。(国籍、性別、年齢不問)
会長、副会長、理事長、理事、事務局長いずれか1名の推薦を必要とする。
【賞】 奨励賞、準奨励賞、話題賞
※過去には特別奨励賞、努力賞もあったそうです。
最近ではネットによる投票のジャンルもあるようですね。
受賞者には授賞式が後日開催され記念品が贈られます。
(私達の奨励賞受賞時はブロンズの盾をいただきました。)
ここではコンクールのカテゴリーに入れさせていただいていますが
日本フラメンコ協会のHPには
「ことに数年前から、プロフェッショナルへの登龍門として社会的認知を得、
コンクール化が論議される中、協会は一貫して
「新人公演は優劣順位をつけるためのものではなく、新人へのエールを送るために存在する」
という姿勢をくずさずにいます。
だからこそ、すべての出演者が主役であり、1人も敗者もありません。」
と表記されています。
新人公演|試行錯誤を繰り返しチャレンジを重ねてきた日々
毎年、夏の中野の道を滝汗で歩いていたことを今でも鮮明に思い出します。
緊張で死にそうになりながらも、何故かワクワクが止まらない不思議な感覚でした。
受賞に至るまでに、壁にぶつかりながらもアルティスタの皆さんからのアドバイスを胸に
挑み続けた経験が今の私を構築する大きな要素となっています。
受賞のお知らせを聞いた瞬間、喜びすぎて貧血が起き、打ち上げ中の皆さんを置いて一足先に
うね君に宿泊先へ連れて帰ってもらったのも今となれ良い思い出。
あの頃の本番に向けての傾向と対策方法
【私】バイレソロ部門|5回目の挑戦でようやく受賞。
【うね君】ギター部門|4回目の挑戦で受賞。 (自分の時より受賞が1回早くてちょっと悔しい私。)
- 初参加|ソレア
「なんだか楽しそう」
「スペイン文化ってフラメンコって格好良い!兎に角チャレンジしてみたい!」
と、気軽に参加。
そこで好評をいただけたものだからちょいと調子に乗ってしまった若かりし頃の私。 - 2回目|タラントス
1回目で参加者の皆さんの真剣さとバックアップしてくださる皆さんの
プロ意識に衝撃を受け真面目に取り組もうと思い始める。 - 3回目、4回目|どちらか、またはどちらともアレグリアス
何故か記憶があやふやな3回目と4回目。
アレグリアスなのに全身黒のチャケタ(ジャケット)で挑戦したくなった記憶が・・・。
この全身黒でのアレグリアスが自分的にはかなり手ごたえがあったのに
結果としては箸にも棒にもかからずかなりのショックを受ける。
いやもうイジケていたかも? - 5回目|ソレア
何も考えずに素直に楽しんで挑戦した1回目のほうが手ごたえがあったことに気付く。
回数を重ねるごとに変にこねくり倒して「フラメンコって?」と色々なことを
見失ってしまい(見失うも何もそもそも何一つわかっていなかったのだけれど)
「原点回帰」の言葉が頭に浮かぶ。
もう今回で新人公演の挑戦は最後にしようとも思う。
その結果・・・カンテの川島桂子さん、
パルマ(帰り歌ではハモリも入れてくださった三枝祐輔さん)、友人、知人の応援
そしてうね君のギターとともに念願の奨励賞を受賞する。
運命の5回目|どのように練習・準備をしたか?
- 原点回帰
自分の意志で「習いたい!」と心に決め
スペインはセビージャのスタジオの門を叩き
習ったのが恩師ホセ・ガルバン。
ホセのソレアの呼吸、マルカール、粋さ、軽やかさ、サパテアードのクリアな回転音
澱まないコンパス、優しくておおらかな笑顔の内に潜むフラメンコ的「黒さ・鋭さ」
等を何度も思い出しイメトレをしました。 - 身体の使い方の見直し
関節の使い方、呼吸、間などを何度も見直しました。
「一度コンパスを放り投げてから再度自分で足を打つシーン」が何度試しても上手くいかず
そんな時、雄輔さんんと桂子さんの実演(!)を交えたアドバイスのおかげで
頭の中の霧が晴れました。
(実演が見事すぎて「ああ!もう桂子さんと雄輔さんが代わりに出場して~!」
とかなんとか本当に叫んでいた私。)
サパテアードは打ち付けるのではなく、がむしゃらでもなく「呼吸こそ」なのですよね。 - ひたすらイメトレ!舞台上の動線もイメトレとリアルな練習!
一生懸命なのは当たり前として
ついつい「踊る」ことに夢中になりがち。
・自分が舞台のどこで何をしたいのか?
・一筆書きのように自然な流れは描けているか?
・ひとつの場所にとどまり過ぎていないか?(逆にそれが効果的な時もあります。)
・始まりと終わりがどれほど大切か意識できているか?
(家に帰るまでが遠足!楽屋に帰るまでが舞台なのです!)
前日のスタジオモダミカで友人の阿部碧里ちゃんに付き合ってもらい
「帰り方」など何度も見てもらいました。
あの時の身体の使い方などアドバイスにハッとし、不思議なほど勇気が湧いてきました。 - 身体と脳にしみこませる
有り難いことに伴奏のギタリストが旦那ということで
毎日夜まで練習に付き合ってもらいました。
「ああでもない、こうでもない」しまいには喧嘩もしながら繰り返し練習。
・身体が自然に動くまで、頭があれこれごちゃごちゃ考えずに呼吸できるまで兎に角繰り返す。
・一人で練習するときはメトロノームを使いひたすら足の基礎と実際の振りの練習。
・足が地面に吸い付く感覚になるまでここでもひたすら繰り返す。
・たまにがむしゃらに、でも基本は理論的に。
・自主練習の最後はメトロノームに頼らず自分の感覚を大切に通す。 - よく食べてよく寝る
これも原点回帰ですね。
特に前日は「できることは全てやった」
と不思議な満足感で爆睡できた記憶があります。
2010年8月|本番の日
前日の「できることは全部やった」気持ちからの爆睡のおかげか
当日もスッキリと起床。
起きた瞬間に「あ、今日賞とるわ」と、うね君に告げる私。(今に思えばヤバい人だわ)
宿泊先から中野ZEROへ向かう道、すべての信号が青になるので内心「うひょ~う」と大盛り上がり。
時には憂鬱に感じた中野ZEROへの道が妙にカラフルに感じる。
リハーサル時に
「大きく動こうとか思わず無理せず自然に動けば大丈夫」と桂子さんからアドバイス。
リハーサル後にそれまで見たことのないような桂子さん、雄輔さん、うね君の笑顔。
ここでもよく食べ、水分もしっかり摂取。
いざ本番!板付きなのだけれど本当に真っ暗の為、所定の位置までスタッフさんにしがみつきながら
生まれたての子鹿のようにガクガクブルブルで舞台中央にたどり着く。
名前と曲名が読み上げられ、サリーダが聞こえた瞬間客席の奥まで見通せた気がして
その後は・・・記憶喪失!!!
我に返ったのは終わる直前!ブエルタ(回転)と共に髪に刺した花が飛び
照明の中に落ちる。
※舞台上で花や飾りが落ちるのは本来良くないことなのですが
この時は丁度ピンスポット?(サス?)に最後の最後で落ちたことから
舞台効果にさえ感じられた・・・と後から聞く。
心底楽しくて過去一番の手ごたえも感じながら幕内に入った瞬間、まさかまさかの腰が抜けて座り込む。
またもや生まれたての子鹿のようになりながら舞台裏の廊下に出ると
満面の笑みの桂子さん、雄輔さん、うね君が・・・そこでほっとしたのか
表現できない感情と共に涙腺決壊。
そしてその夕方、上記しましたように
「受賞のお知らせを聞いた瞬間、喜びすぎて貧血が起き、打ち上げ中の皆さんを置いて
一足先に うね君に宿泊先へ連れて帰ってもらったのも今となれ良い思い出」
に繋がるわけです。
その後
この日のことは私の人生の中でもかなり大きな衝撃と感動として
記憶に焼き付いています。
大切なターニングポイントと言っても過言ではないでしょう。
関係者の皆さんには感謝してもしきれません!
実はこの受賞から約1年私のフラメンコ暗黒期というか
何をしても空回り、既に過去である受賞時の感覚ばかりを追ってしまい
自身も無くし、いつ出られるかわからないトンネルの中のような
辛すぎる日々を送ることとなるのですが
いつの間にかそのトンネルも抜け出せ
その暗黒期さえもかけがえのない経験値となりました。
そして2024年の現在、もし今の自分が新人公演に挑むなら
どのような行動をするか?
何を考えるか?
そんなこんなに興味が湧きました。
次回更新はそのことについて書きたいと思います。
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